生態学の考え:論理に適う生物界

自然は、普遍的な生体を完全な形で表しています。それは論理にかなった、進化の法則すなわち無限の復活を承認するものです。自然は生きています。死んだものを練り上げたものではありません。自然界には生命を守る力が存在します。その力は永遠の静寂に隠れて動いています。目的に満ちた、美しく完全な永遠の秩序が、生物界に神の力と限りない内的エネルギーを与えます。それが摂理の具象です。自然は過去でも未来でもありません。常に今の瞬間を生きています。自然は常に若く、生き生きとしたものです。自然とは、物体、形象、関係の世界であり、人間の思考と感情の世界であり、ユニークな体系に組織された現実です。そこには論理的な現実のエッセンスが隠れています。つまり自然とは、生きているものすべてに対する神の愛です。時と空間の後ろに、絶対なる英知が隠されているのです。

ダノフ大師は、「生物界とは、偉大な世界を形成する、これ以上分割できない『原子』で成り立つ集合体である。我々が生活する全ての空間には、異なる区分と文化を持った生物がたくさん存在する。」という点を強調し、「従って、宇宙意識を持つものの目を通せば、その自然を抱える空間全体は、その中で結合するあらゆる生物全体を表すのである。」と言っています。

自然界では原理、パワー、エネルギー、法則が作用します。しかし基本的には2つ、すなわち、行動するパワー(力)と穏やかさに分かれます。パワーは全体を分離し、個別化し、分割します。勿論そのまま進めば、争い、破壊、死に繋がります。これに反し穏やかさは、個性を融合し、平和をもたらします。それは精神世界から生まれたものです。これにより、世界は同じ源から2つの反対方向に向かって形成されていることが理解できます。ですから、発展を続ける世界での基本法則は、「進化(肉体的に完成し、精神的なものへ上昇し、完璧に相互に浸透し、精神と融合すること)」とその前の逆方向のプロセス、「退化(精神の物質への下降と、形式の世界の構築)」なのです。退化の方向は中心から周囲に向かうのに対し、進化は上昇志向で、退化のプロセスを逆に戻ります。宇宙の発展にはこれら2つの原則的な方向性があって、永遠に変化し続ける生命条件の創造に必要なエネルギーが発散されています。この法則は、神が敷いた宇宙の偉大な計画の方向性を示しているのです。

神と自然界との関係について、ダノフ師はさらに強調しています。「…我々は明らかになっているものを論理に添う自然界と称し、まだ不明な存在をイデオロギーの魂と称します。永遠の、聖なる、まだ明らかになっていないイデオロギー…それが神であり、これこそ偉大なる命の源です。それは明らかになっているものと直結しています。自然を神の体であると言う人がいるのはそのためです。しかし、自然が表しているのは外面のイメージだけです。そのイメージの美しさに囚われて、自然と神が一体であると信じてやまない人たちもいます。しかし、もしも自然と神が同一だとしたら、神は制限された存在ということになってしまいます。自然は明らかにされた物体ですが、神はそうではありません。神は限りなく永遠の明示者であり、ご自身は明示されないままです。これは確たる事実です。」

ダノフ大師の言う自然とは、非常に明白な外面的現実であり、神が明示された完成作品、優れた愛の形です。ただし自然はその精神的な神の一面を、意識の低い人々に容易に見せようとはしません。人々が見るのは物事の影の部分、変貌する外見だけで、不変の中身、生命の本質、見える外側の裏で作用し明示される、心霊による実際的な効果を見ようとはしません。科学はこれまで、経験的、知識的な方法に従って外面だけを吟味してきました。宇宙の真の創造力に興味を示し始めたのは、つい最近です。人類は20世紀末に月に降りたって、シャトルを操縦し大気圏を飛び出し、現代では火星での宇宙飛行士の滞在を準備し、熱核エネルギーとプラズマをマスターしようというのに、自分自身の「エゴ」については皆目よく解っていません。人間の意識の不可欠な担い手である脳については、いまだに全能力のうちたったの1%しか使っていないのです!

 優れた論理が形を現した自然、その自然界のものには全て、奥深く内在する目的が備わっています。現代科学が本当に意味のあるものとなるには、科学者は形而上学の知識を駆使しつつ、中身と内面の創造力を研究するだけでなく、存在するすべてのものが見える客観的な現実に、奥深く隠れた目的に目を向けて、修養しなければなりません。